2013年5月25日

異文化交流

お久しぶりです。第九があって、そして、夜自由な時間はあまりなくて、何も書けませんでした。

日本に来てから、いろいろ経験してきました。

でも、今までは、一番気になるところは、日本人の異文化交流の能力です。

正直に言うと、「へたくそ」だと思います。上手に出来た人は何人か見られましたが、少ないですね。ですから、外国語習得の講座の後のテーマを決めたと思います。それは、タイトルの異文化交流です。

第九が終わった後、友達とインターネットで会話していました。その友達と話しながら、いい思い出を思い出した。フェースブックにこう書きました:
でも、福井県でのエスペラント語研修会の皆さんの歓迎も思い出した。それも、大変感動した。初めて日本でフランス語話者のケベコワ人として歓迎していただいた。エスペラント語話者しか出来ないことのようで、やっぱり楽しい経験だった。そして、エスペラント語で発表した内容を日本語に自分で通訳したとき、もちろん皆さんはびっくりしたが、それ以降、日本語話者として歓迎してくださった。つまり、今まで重ねた経験の中で、一番国際化になる経験だね

本当に感動した。

まことにありがとうございました!
そうすると、気分がさかさまになりました。喜びの歌を歌ったときの反対になりました。嘆きでした。泣き出して、涙があふれました。あまり眠れなく、次の日は元気はあまりなかったです。残念に思ったことがありましたが何のことか解らなかったですが、少したったら解りました。

黒部に来てから、今まで一度もこんな上手に歓迎したことがなかったです。日本人の中ではエスペラント語話者のほうが上手に外国の方を歓迎することに気づきました。

四月の記事には、黒部で「国際化」ということを進めているそうだと載せましたが、その「国際化」はどんな国際化でしょうか。それは、解らないと私がそれを支援できるわけはありません。黒部市民にとっての国際化ということは、何ですか?

黒部まちづくり協議会の会員になりました。そして、書類を見たら、「住んでよし、訪れてよし」という言葉が載せてありました。国際化はどちらにあたるでしょうか?

私は黒部市が欲しがっている国際化がわかりません。今の様子を見ると、外国からやってきた人と住みたくない行動をしています。住みたい気持ちはあるかもしれませんが、行動ははずれで、帰国するしかないと思えるぐらいです。

そして、もう一つ気づきました。その外れた行動は、地元とそっくりの行動です。

でも、だめではないと思います。一応、国際交流員としての残っている時間を無駄にせず、沢山訊いていっぱい伝えることにしました。

ですから、9月からの国際交流サロンは異文化交流についてのイベントにしたいと思います。そして、その間、周りの人にその黒部市民が欲しがっている国際化を訊くつもりです。

2013年5月6日

「日本語には主語がいらない」

木曜日、学校にいました。授業が始まる前に中学生向けの語学総合参考書を読んでいました。「文法」というところに入りました。

最初の説明がすばらしくて、それを使わせてもらおうと思いました。
「文章、段落、文、文節、単語。 」
どの言語にも、そういうことがあります。単語の後は、「音節」と「単音」もが来ると思いますが、それは言語学上のことです。

そのところがすばらしいから、残りが優れているだろうと思って、次に来る「文節の働き」というところに入りましたが、 逆に読み始めたらがっかりしました。

がっかりしたというより、腹が立ちました。

最初の説明は、「主語と述語の働き」と。一つ目のことばを見ると、すぐ分かりました。主語を優先した説明です。残りを読むと、思ったとおり、バターのにおいがする説明、つまり英語っぽい説明です。

日本語には、主語にほぼあたる文節があります。『「名詞」が』となる文節です。たとえば、「日本は、人口が多いです。」そのところは、主語にあたる文節です。現れるところが沢山あって、重要な点ですが、主語より重要な文節があるとおもいます。

大学で日本語を勉強し始めたとき、言語学に詳しい先生がいました。その先生が優れていると思いましたが、参考書を読んだら、非常に優れていると思うようになりました。

先生は博士で、日本語についての論文を書きました。「日本語には、主語がいらない」と。論は、「日本語には、主語より重要な文節があります。その文節は、ほとんどどの文書に現れ、日本人が無意識に自然に使います。「主題」といい、日本語で「は」という助詞で表します。」

日本語の文書にはよく現れます。

この文章の文を一つ一つ見てみてください。沢山見つけると思います。 現れない文もありますが、日本語には、文節を省略された文が多いです。

どの文も、「主題」と「述題」があります。主題は分かれば、省略されますが、どの文書にもあります。 主題は、文の話題です。なんについて話すつもりですか?主題を言ってから、「述題」を述べます。述題は、話題について述べることです。

「私は病気です。」

この文には、主語(「が」で表す文節)も目的語(「を」で表す文節)もなく、主題(「は」で表す文節)しかありません。私について話して、「病気」はただの答えです。ほかに、

「僕は牛丼中盛と牛皿中盛とサラダセットです。」

前と同じように、この文には主語と目的語になる文節がありません。僕は牛丼(以下略)というものでしょうか?

もちろん、英語の主語に当たる文節もありますが、以下を読んでみてください。

「パンは私が食べます。」

日本人にとっては違和感がない分だそうです。それは、「は」の力を明かす文です。

今週末、福井県南越前町のほうでエスペラント語研修会に参加しました。とても楽しかったですが、その経験について別の投稿で話したいと思います。

夜になったら、時間が空いて、日本人の参加者に私から見た日本語の基礎文法について話しました。日本人が英語で「The」、フランス語で「Le, la, les」、そしてエスペラント語で「La」という単語があまり理解できないと語りました。でも、このことばを説明する前に、日本語でそれにあたる表現を説明しなければならないと思って、「は」の使い方を説明しました。以上と同じですから、その説明を省略しますが、ちなみに「は」という助詞が「主題」を表すと語りました。

英語とフランス語とその日本人と一緒に研究していたエスペラント語には、「は」にあたる単語がありません。その代わりに、エスペラント語では「La」を使います。以下、エスペラント語の変わりに、英語の例文を挙げますが、説明はほぼ一緒で。

「A king eats an apple.」

日本語に翻訳すると、

「国王がりんごを食べる」

上に述べた日本語の文章には、問題があります。何について話していますか?

文を少しいじりましょう。

「国王はりんごを食べる」

あっ、国王について話しています!

英語に翻訳すると、

「The king eats an apple.」

あれっ?

「A」の代わりに、「The」があります。つまり、英語では、主題を表すとき、「The」という単語を「a」の代わりに使います。

でも、日本語では、「りんごは国王が食べる」という文も出来ます。 英語に翻訳すると、どうなるでしょうか。

「A king eats the apple.」

今回は、りんごが主題で、「the」の位置が変わりました。でも、両方「The」を使うときもあります。

「The king eats the apple.」

あれっ?両方は主題になりますか?

違います。普通には、文に主題になる文節が一つしかありません。日本語だけではなく、英語でもそうです。日本語に翻訳すると、

「国王はこ(そ、あ)のりんごを食べます。」

英語では、もし両方に「The」が現れるとき、主題として主語が優先です。フランス語もエスペラント語も一緒です。(今勉強しているスウェーデン語は違います。)

次の和文を読んでください。

「りんごはこ(そ、あ)の国王が食べます。」

英語に翻訳できるでしょうか?今までの説明によると翻訳できません。でも、英語の場合、文が受身に変わります。

「The apple is eaten by the king.」

ほかの翻訳もあります。

「The apple, the king eats it.」

でも、二番目の翻訳は少し不自然です。前のほうが一般ですね。

主題にならない単語があります。疑問の単語、「だれ、なに、どう、なぜ」などです。日本人の言語学者と話したとき、その学者は『「誰がりんごを食べるか。」「国王がりんごを食べる」』という例を挙げて、日本語に主題より主語が大事だと語りました。

次の朝、私はその例について考えてみても答えが一つも思いつきませんでしたが 、同じ部屋に宿泊した日本人と会話してみたら、答えは明らかになりました。日本語には、「りんごは誰がたべるか」のほうが自然です。答えも、「りんごは国王が食べる」とは当然です。

最初に挙げた文をまた読んでみてください。

「国王がりんごを食べる。」

単独であまり使いませんが、ほかのテーマをつければ、自然に使います。

はるか遠い国では、国王がりんごを食べる。

英語では、

「In a faraway land, kings eat apples.」


あれっ?国王もりんごも複数になりました。

はい、英語では常の話なら全部複数になります。(フランス語は違います。エスペラント語は複雑で、スウェーデン語は未だ勉強していません。)単数になると、

「In a faraway land, a king eats an apple.」

日本語にすると、

「はるか遠い国では、ある国王がりんごを食べます。」

つまり、日本語では単独さを指したいとき「ある」を使います。言語はめんどくさいでしょう。

でも、それは「は」と「The」の基本の話だけですね。「は」についての話は象の鼻より長いですし、「The」の働きも主題だけではありません。

でも、私は今、日本語の先生から最初に教えていただいたことをもう一度もっと深く分かると思います。「日本語には主語がいらない。」完全ではないと思いますが、参考書よりずっと正しいと思います。

2013年5月1日

講座の研究の最中になって

昨日講座の名前を決定しました。

「外国語習得のコツ」と名づけましたが、今日から講座の内容を真剣に作り始めて、研究最中になりました。

楽しくてたまりません。本当に。驚くほど楽しい。

今、一回目の授業の内容を作っています。一応、自己紹介と講座の紹介がほとんど出来ています。それから、外国語の問題について少し述べて、講座の各事項を簡単に紹介します。

講座の紹介の中で、一つ厳しいところがあります。試験と受験のことです。

講座内で時間はそんなにないので、一応ここで乗せようと思いました。

「 試験の不吉」

講座で、簡単に試験のことを述べました。

もう一度、試験のことを考えてみましょう。学生の視点から見てください。

「試験がある。試験に合格しないと進学できない。でも、教えられていることがありすぎて、なかなか全部覚えられない。どうしよう。」

学生の考え方はほとんどそうです。学生の問題は、知識の重要さを理解していないことです。先生方に訊いてみたいことがあります。生徒に何のためにそれを教えていますか?算数は、3+3ということのためではなく 、りんごを3個+3個ということのためです。実際に使うためです。そして、それを生徒に教えないと、生徒の考え方、上のようになってしまいます。人間の考え方は、まず結果について考えています。原因は関係ありません。必要なのは利益です。稼げることです。食えることです。つまり、みなさんはまず自分の利益について考えています。

学生の利益は、何でしょうか?知識ですか?知識の活動力ですか?それても、点数のことでしょうか。先生から見ると、知識か、知識の活動がもっとも大事です。でも、生徒から見ると、その知識の生かし方を納得しないと、知識とその知識の活動力は利益になりません。先生方、生徒の利益について考えていますか?先生方ではなく、教育委員会、日本国の文部科学省までの問題だと思います。視点は生徒からではなく、生徒の迷いを納得しなかった大人からです。利益を説明するには、難しいですから、説明するより、実際に使うことにしましょう。

でも、実際に使うためには、その知識を身につけなければなりません。そのときに知識を渡すことにしましょう。そうすると知識が自然に身について、生徒たちが成長していきます。

「試験はあるけど、全部使ったことがあるから、もう分かっているじゃない。試験よりもっと教えていただきたいな~。」

その考え方を与えようとしています。知識の利益を納得した生徒がすばらしくないですか。そして、その生徒にとって試験はただの確認になり、生徒が恐れずにやってくれます。

受験は日本文化の中で一番嫌いなところですね。日本で結婚して子供が出来たら、その子供らをカナダのケベック州に進学させるつもりです。

受験は最低なことです。前に通った学校の先生を信頼していない証です。そして、生徒に迷惑をかけるものです。生徒たちは、色々学習中です。そして、見て、進学するために受験に合格しないといけません。生徒の利益を考えてください。生徒は、進学できないと、仕事が出来ないといわれます。進学できないと、生活は難しくなります。生徒の利益はどこにあるでしょうか?知識になりますか?

やはり前と同じように、知識の負けです。受験が優先されてしまいます。

地元のケベック州では、受験ということはありません。特別な学校に入るために受験がある可能性はありますが、その場合は生徒が低学校で習ったことを確認だけです。普段の進学は、受験ではなく、前の学校の成績で決まります。つまり、上の学校は下の学校の学習の流れを信頼して生徒たちを迎えます。未だ完璧とはいえませんが、受験よりずっとましじゃないでしょう。生徒は、進学のことを心配せずに通い中の学校の試験に合格すれば進学できると考えられますから、全力をその学習に入れます。ですから、僕は子供が出来たら、前もってそれを伝えます。

「心配はないぞ。父さんの地元では、進学は学校成績で決まってるから、その成績がよければいつも進学できるぜ。」

ほかの理由もあるのですが、そのため高校以上の進学は生まれたケベック州に任せたいと思いますね。フランス語を子供に教えながら。