2013年5月1日

講座の研究の最中になって

昨日講座の名前を決定しました。

「外国語習得のコツ」と名づけましたが、今日から講座の内容を真剣に作り始めて、研究最中になりました。

楽しくてたまりません。本当に。驚くほど楽しい。

今、一回目の授業の内容を作っています。一応、自己紹介と講座の紹介がほとんど出来ています。それから、外国語の問題について少し述べて、講座の各事項を簡単に紹介します。

講座の紹介の中で、一つ厳しいところがあります。試験と受験のことです。

講座内で時間はそんなにないので、一応ここで乗せようと思いました。

「 試験の不吉」

講座で、簡単に試験のことを述べました。

もう一度、試験のことを考えてみましょう。学生の視点から見てください。

「試験がある。試験に合格しないと進学できない。でも、教えられていることがありすぎて、なかなか全部覚えられない。どうしよう。」

学生の考え方はほとんどそうです。学生の問題は、知識の重要さを理解していないことです。先生方に訊いてみたいことがあります。生徒に何のためにそれを教えていますか?算数は、3+3ということのためではなく 、りんごを3個+3個ということのためです。実際に使うためです。そして、それを生徒に教えないと、生徒の考え方、上のようになってしまいます。人間の考え方は、まず結果について考えています。原因は関係ありません。必要なのは利益です。稼げることです。食えることです。つまり、みなさんはまず自分の利益について考えています。

学生の利益は、何でしょうか?知識ですか?知識の活動力ですか?それても、点数のことでしょうか。先生から見ると、知識か、知識の活動がもっとも大事です。でも、生徒から見ると、その知識の生かし方を納得しないと、知識とその知識の活動力は利益になりません。先生方、生徒の利益について考えていますか?先生方ではなく、教育委員会、日本国の文部科学省までの問題だと思います。視点は生徒からではなく、生徒の迷いを納得しなかった大人からです。利益を説明するには、難しいですから、説明するより、実際に使うことにしましょう。

でも、実際に使うためには、その知識を身につけなければなりません。そのときに知識を渡すことにしましょう。そうすると知識が自然に身について、生徒たちが成長していきます。

「試験はあるけど、全部使ったことがあるから、もう分かっているじゃない。試験よりもっと教えていただきたいな~。」

その考え方を与えようとしています。知識の利益を納得した生徒がすばらしくないですか。そして、その生徒にとって試験はただの確認になり、生徒が恐れずにやってくれます。

受験は日本文化の中で一番嫌いなところですね。日本で結婚して子供が出来たら、その子供らをカナダのケベック州に進学させるつもりです。

受験は最低なことです。前に通った学校の先生を信頼していない証です。そして、生徒に迷惑をかけるものです。生徒たちは、色々学習中です。そして、見て、進学するために受験に合格しないといけません。生徒の利益を考えてください。生徒は、進学できないと、仕事が出来ないといわれます。進学できないと、生活は難しくなります。生徒の利益はどこにあるでしょうか?知識になりますか?

やはり前と同じように、知識の負けです。受験が優先されてしまいます。

地元のケベック州では、受験ということはありません。特別な学校に入るために受験がある可能性はありますが、その場合は生徒が低学校で習ったことを確認だけです。普段の進学は、受験ではなく、前の学校の成績で決まります。つまり、上の学校は下の学校の学習の流れを信頼して生徒たちを迎えます。未だ完璧とはいえませんが、受験よりずっとましじゃないでしょう。生徒は、進学のことを心配せずに通い中の学校の試験に合格すれば進学できると考えられますから、全力をその学習に入れます。ですから、僕は子供が出来たら、前もってそれを伝えます。

「心配はないぞ。父さんの地元では、進学は学校成績で決まってるから、その成績がよければいつも進学できるぜ。」

ほかの理由もあるのですが、そのため高校以上の進学は生まれたケベック州に任せたいと思いますね。フランス語を子供に教えながら。

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